南濱墓地 墓石調査 Kブロック

まずは配置図を作成しました。

   各列をA~Vとしてそれぞれの墓石に番号をふって A-3 のように区別します。(あ~面倒だなあ)
   青い四角は一族墓で、現在も祀られています。他に祀られているのは小数です。



   真ん中に立つ木は伐採予定のようです。白い線があります。(2014/12/29現在未伐採)


   裏側はこうです。


   木の根元はこの通り。墓石の破片が散らばり、その間を縫って根が伸びています。
   この木が生える前から墓石は並んでいたと思えます。


K-2   正面   松岸慈圓信女
    右側面  寛保三癸亥年六月●四日(1743)
    左側面  渡邉氏
         普通の墓地では男の墓が圧倒的ですが、なぜか渡邊氏は墓も同数です。
         夫婦墓が少ない気がします。


K-5   正面   鴨居氏久枝之墓
    裏面   明治二巳巳年四月廿八日卒
         中原正國●●
    台座   澤田
         鴨居氏から社家の澤田氏に来た奥様の墓です。中原正國が夫でしょうか?


K-11  正面   新式部中臣祐晴墓
    右側面  天保四巳年十一月廿六日死(1834)
    左側面  沢田市正後見之
         祐晴が亡くなって市正が後見するというのですが、なぜそれを墓石に書く?
         一族への宣言ということなのでしょうか。
         つまり、後見を争う他の親族がいたというわけです。


   フェンス端には竿石が破損した墓と禅僧の墓石が放置されています。
   印刷されたカードは墓の縁故者を探すものです。


K-24  正面   中原正國墓
         長男  正規
    裏面   正規 明治二十六年一月十一日死
     明治六年酉八月九日没
    台座   澤田家
         正國の墓を長男の正規が建て、その後亡くなった正規も同じ墓に葬られたわけです。
         この正國はK-5に出てきます。
         実はこの正規の亡くなる明治26年は、社家としては異例に遅い時期なのです。


    この墓石も不思議な形をしています。なぜ竿石の上に穴をあけたのでしょうか?
K-23  正面   天保十●●年(1840)
         ●真信女
           十二月
    左側面  沢田氏
    裏面   剥落
         慈政童女
         五月十三日

 

K-19  正面   小谷渚霊
    裏面   故守約室
         嘉永五壬子年八月十四日卒(1852)
         小谷守約の奥様の墓です。この渚と守約の子の墓L-13に出てきますが、守約自身の墓は見当たりません。
         「故」とつけたことから奥様より早く亡くなったことがわかります。